2012年6月2日土曜日

LOSTARROW News


 イギリスのクリスチャン・ボニントン、そしてインドの伝説的探検クライマーであるハリシュ・カパディアの2人により組織された隊からアルガングラ山脈の国際遠征の誘いを受けた2人。ウィルフォードはすぐにこれに飛びつき、パートナーのリッチーと共に参加することにした。2人とも、5.13のスポーツクライミングやハードなボルダリングから、ヒマラヤの高所までオールラウンドに活動するクライマーである。また、ウィルフォードは悪名高いアイガー北壁をソロクライミングした初のアメリカ人でもある。

 隊は2001年8月おわりに、インドはムンバイで結成された。パキスタンとの係争地であるカシミールへとスムースに入ることができたのは、カパディアのおかげである。ベースキャンプに入りさっそく偵察へ向かったウィル� ��ォードらは、膨大な数の未踏峰の中から照準を定めた。グランドジョラスを彷彿させる1200mのアレートを擁する「ピーク6,218」だ。そして9月9日、5日分の装備を背負い、2人は出発した。


geratうつ病1930市

 9月11日、世界がテロリストの恐怖に騒然となる中、リッチーはこのルートの核心ともいうべき、前傾したピラーに取り付いていた。事件はその時突然起こった。落ちたのはテレビ位の大きさの岩塊。しばらくして900m下から響く轟音。自分のメインロープの末端から3m程を岩がかすめ、ロープが切断された事をリッチーは知り、背筋が凍った。気を取り直してロープを結び直し、再び登りだした2人は、その夜をピラー上で迎えた。上には、頂上へとつながる氷壁が聳えている。

 9月12日、残す氷壁は傾斜70度、180mだ。たった3本のアイススクリューと効かないクランポンとの闘い。ラストピッチでウィルフォードは、雪庇下をトラバースする。予定していた下降ルートをチェ� �クするためだ。しかしその瞬間彼の胃は痛んだ。下降に予定したガリーは新雪で埋まり、巨大な雪庇が覆い被さっていたのだ。


スーフォールズテレビ局

 9月13日、登頂した2人は、食料の減りや他の仲間の心配を考え、予定していた下降ルートを捨て、氷河へと続く広々とした南壁ガリーをたどることに決めた。下へと続く氷河は、ベースキャンプのあるアルガングラバレーまで我々を導いてくれるようだ…。しかしこの決定が後に2人をあそこまで苦しめようとは、まだ知る由もない。彼らはギアやロープなどを軽量化のため投棄した。その夜、平らな草原に降りビバークする2人は、既に翌日にベースキャンプで飲むビールのことを考えていた。

 9月14日、早朝に目覚めたウィルフォードらは、7日もつように食い延ばしてきた食料の残りを全て食べきり、谷を下り始めた。疲れていたが意気揚々としていた。だが一方� ��、時間が経つにつれ、家畜や羊飼いなど、人の気配のあまりの無さに、2人は言いしれぬ胸騒ぎをかすかに感じてもいた。穏やかな谷を下る彼らの先には、急流渦巻くゴルジュが控えていたのだった。

 初めこそ対岸から対岸へと飛び移り下っていたものの、次第に壁は聳え、状況は険しくなってゆく。しかし、もはや戻ることは許されない。ラペルを繰り返すうち、その支点はピトン1本に、そしてスリングの上に岩を積み重ねただけに、と次第に厳しさを増す。当初の自信はゆらぎだす。


ブルックスキャンプ場滝

 ついに2人は、滝の流れへダイレクトにラペルしなくてはならない状況に陥った。先に降りたのはウィルフォードだ。ぬめる苔が彼の足をはじく。彼は下へついても、解除する前に溺れ死んでしまうのではないかと考え、ロッキングビナをあえて締めなかった。水流はそれほど激しく彼をたたきつけた。

 もはや乏しい可能性のなかを2人のクライマーが進む。ラペルスリングは、切断したクランポンのストラップやロープで代用しているありさまだ。そんな時だった。険しい谷の合間の向こう側に、ベースキャンプへと続くナブラバレーを発見した、しかし。
 2人の足下には、落差60mの滝があった。ラペルしても、ロープは残置せねばならず、もう1度ラペルがあったらそれで彼らは終わりだ。彼らは、またも決断を迫られた。


 2人は30mの非常にもろく不安定な壁をのぼり、上へと抜けることにした。ウィルフォードがのぼり出す。冷蔵庫ほどの不安定に張り付いている岩塊を越え、ボロボロのチムニーを抜ける。そして上部は前傾壁である。
 「頭に拳銃つきつけられたような状況で、ウィルフォードの動きはものすごく落ち着いていた」リッチーはこう証言した。核心を抜け、ビレイスタンスを見つけ、ピトンを打ち込む。5.13R/Xのグラウンドアップによる初登。30年のクライミング人生で、あんなに恐ろしい1ピッチはなかった、と後にウィルフォードは語った。上へと通じるかすかなケモノ道を抜け、ビバークする。彼らは生き延びたのだ。


 9月15日、翌朝の彼らは、ナブラバレーで隊が探しに差し向けたポーターと再会しベースキャンプへと戻った。ウィルフォードとリッチーが初登頂した山は、仏教の守護神の名にちなみ、ヤマンダカと名付けられた。そして、拓いたルートは、厳しい冒険にふさわしく、バルバロッサと命名された。これは、ベースキャンプで読まれた本のタイトルであり、第二次大戦のドイツによるロシア攻撃の作戦コードからとったものである。
 「ベースキャンプに戻ったら、俺達を探しにみんないなくなっていたんだ」ウィルフォードは思い出す。
 「おまけに、キャンプのビールは、全部飲まれちまってたんだ」



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