エンデの遺言
昔から私は、現在の経済システムが何かおかしいと思い続けてきましたが、経済学者の知的遊戯にしか見えなかった経済学からは最近まで特別な関心を持つことができませんでした。世界的に見れば経済成長は続いているのにも関わらず貧富の差は逆に増す一方であり、日本円でいえば兆単位の大富豪がいる傍ら、飢餓に苦しむ人が何百万という単位でいることを考えると、やはり現在の経済が構造的にどこかおかしいのではないかという疑問を抱えざるを得ないわけです。
大恐慌からの思い出の写真
しかし、このページで取り上げている「エンデの遺言」(1999年5月放送)を見て、この問題へのアプローチ方法がおぼろげながらもわかってきました。そしてそれ以来、地域通貨やオルターナティブ・バンキングなどの事例を勉強しながら、経済の問題に取り組んでいるところです。
この問題を考えるキーワードとして私が今考えているのは、利子というテーマです。今の日本では金利が極端に低いですが、世界的に見れば年利5%以上の金利が預金に上乗せされることも珍しくなく、お金持ちはこの金利収入のおかげで、元本を取り崩すことなく暮らしてゆくことができます。しかし、この金利はいったい誰が払っているのでしょうか?
何が1907年に起こった
ドイツの建築家、マルグリット・ケネディが刊行した「金利ともインフレとも無縁なお金」によると、ドイツの80%もの人たちが金利のためにより貧しい生活を強いられる一方、一握りのお金持ちはこの金利のためにさらに豊かな生活ができるようになっています。これはどうしてかというと、たとえ自分はお金を借りてなくても、たとえば地下鉄に乗った場合、この地下鉄を建設するための融資資金に対し利子をつけて返さなければならないため、運賃の一部という形で間接的に一般利用者から銀行を通じて、お金持ちへとお金が渡ってゆきます。これは別に地下鉄だけでなく、他の多くのモノやサービスでもいえることであり、つまりわれわれがお金を使えば使うほど、� ��金持ちが得するような経済のシステムになっているのです。
ジャングル:どのようにした資本主義の影響ユルギスと彼の家族
この問題について、ドイツの経済学者シルビオ・ゲゼル(1862〜1930)は、その主要著書「自然的経済秩序」で不労所得(これには金利収入のほか地代も含まれる)の問題点を指摘し、「お金の特権を廃止しよう」と書いています。具体的には他の商品と同じく、時間とともに価値が減ってゆくお金を提案しています。これが実際に行われた例として有名なのが、オーストリア・チロルのヴェルグルの例(1932〜33)ですが、今の日本でたとえていうなら新しい月になるたびに10円の印紙を貼らないと使えない1000円札を流通させることで、この1000円札がふつうの1000円札以上のスピードで使われてゆき、またたく間に大恐慌に苦しん� �いた町の経済を立て直すことになりました。こういうお金が流通するようになれば、金利は当然ゼロ、あるいはマイナスにまで下がることが予想され、金利が下がることでお金を借りる人は金利負担から解放され、よりよい生活を送れるようになるというわけです。
また、地域通貨の関連でアルゼンチンの交換クラブ(Club de trueque)を研究していますが、短期間に100万人ともいわれる数の参加者を擁するに至った背景には、非常に深刻な債務問題があります。非常に広大な国土を持ち、農作物に困らないはずのこの国で多くの市民が毎日の生活に窮している現状はどう考えても納得がいかないものであり、やはり何らかの抜本的な改革を提示する必要があると思っています。
経済学をずっと勉強してきたわけではないため、私の視点はかなり偏ったものになりがちですが、みなさまからのご指導、ご鞭撻のほどをよろしくお願い申し上げます。
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