浜村拓夫の世界
きちがいへの対応方法 - 無抵抗・非協力
ここでいう「きちがい」の要素とは、サイコパスの資質のことである。
きちがいの人、サイコパスの人に対して、どのような態度で接するのがベストなのか?
【"きちがいへの対応方法 - 無抵抗・非協力"の続きを読む】
人種差別の言葉 〜 シンシャンション
「自分さえ良ければ、他人はどうでもいい」
という状態である。
あと49日:浜村拓夫の世界
人間の意識は、「快楽を求め、苦しみを避ける」ようなバイアス、偏向がかかっています。
人間のエゴ(自我意識)は、究極的には「自分さえ良ければ、他人はどうでも良い」という状態に至ります。
綺麗事を抜きにすれば、人間は自分のことしか考えていないのです。
この状態を経験すると、意識が解放的になり、非常にエネルギッシュかつ積極的になりますが、同時に、自他ともに傷付けてしまう行動をなす場合があります。
この状態は、程度の差こそあれ全ての生物に備わっている特徴であり、具体的にはホメオスターシス(恒常性維持機能)として全ての生物に組み込まれている仕組みである。
人間を含めた全ての生物の行動原理は、この特徴によって一切の例外なく理解・説明できる。
エゴのメリットとデメリットの両面を理解した上で、次のステップとしてデメリットを解決していくことが必要になるだろう。
●人種差別
日本人を含む黄色人種、あるいは肌の色が白くない有色人種の人たちは、容姿が醜い、汚らわしい存在として、白色人種の欧米人から軽蔑される場合がある。
人種差別 - Wikipedia
人種差別(じんしゅさべつ、Racial discrimination、discrimination)とは、人種による差別のこと。
戦中は枢軸国の中で、ほぼ日系人のみ、長期的に強制収容所に入れられており、在米ドイツ人はなかった。
日本人を差別的に呼ぶ用語にニップ、ジャップ等がある。
黄禍論 - Wikipedia
黄禍論(おうかろん/こうかろん,Yellow peril)とは、19世紀半ばから20世紀前半にかけてアメリカ合衆国・ドイツ・カナダ・オーストラリアなどの白人国家において現れた、黄色人種を蔑視し、差別する考え方。
人種差別の一種。
なお、近代の黄禍論で対象とされる民族は、主に日本人並びに中国人である。
第2次世界大戦当時の日本人は、外国から「ジャップ」「イエローモンキー」と呼ばれていた。
そして、原子爆弾の実験台として日本人が利用され、10万人以上がまとめて殺された。
イスラエルの原爆投下 - 浜村拓夫の世界
原子爆弾は、ユダヤ人科学者によって開発された。
アメリカが日本に投下した原爆「Little boy(チンコ)」「Fat man(ブタ野郎)」
●シンシャンション
東洋人を軽蔑する言葉として「シンシャンション」という言葉があるらしい。
【スウェーデン】16歳イラク移民少年、数学の歴史的難問解く=ベルヌーイ数を説明[05/29]
58 :七つの海の名無しさん:2009/05/29(金) 10:01:46 ID:4a3H7sGf
「スウェーデン シンシャンション」でぐぐると、スウェーデンの心温まる人権意識がわかるよ
スウェーデン シンシャンション の検索結果 約 3,960 件
新実誠のトルコ便り
スウェーデンでも東洋人を嘲る言葉として"シンションシャン"というのが使われているようです。
まあ、日本でも昔は"シナチャンコロ"などという言葉が使われていたこともあったようだから、あまり他人のことばかり言ってはいけないかもしれません。日本人で悪いか!?
日本人で悪いか!? その2
日本人で悪いか!?その2
こちらの某遊園地で着ぐるみの仕事を即ゲットしました。
日本と違い、着ぐるみという職種が皆無なので経験者だった私はとても重宝がられ、後継者の育成まで頼まれるなど楽しい経験でしたけど、1 ヶ月で挫折してしまいました。
こんな事件が起こったのです。子供の多くは着ぐるみを見ると近寄ってきて着ぐるみをポカポカ殴ります。
大抵の場合、それは『かまって欲しい』という意志表示なので、殴っている子供を抱きしめたりナデナデすると、子供は大喜びで抱きしめ返してきます。そんなある日の事です。
着ぐるみに入った私は3 メ―トル程の高台に登ってゲストにグリ―ティングをしていました。
すると13 歳前後の子供6 〜7 人のグル―プと引率者らしき大人2 人(男1 人女1 人)が私をとり囲みました。
子供の一人が後ろから私をハガイジメにし、残りの子供は次々と私にケリを入れ始めました。
大人2 人は大笑いでその様子を眺めていました。
しかし子供は手加減なくケリ続けるので、思わず『うっ!』と苦痛のうめき声をあげてしまいました。
着ぐるみにとって声を上げるのはタブ―なのです。『こりゃヘルプを求めなきゃ、ボコボコにされちゃう、、。』と思った私は、すかさず引率者の男の後ろに逃げこみました。
ところが、この男、私の着ぐるみのヘッド(着ぐるみの頭)をぐいと引っぱり上げ、『見てみろよ、この着ぐるみ、中国人が入っているぜ!シンションシャン!!中国人が俺達を騙そうとして動物(着ぐるみ)に成りすましているぜ!シンション、何か言ってみろよ中国人!!』
子供達はわーっと歓声を上げ、益々ケリが激しくなります。
『この中国人、動物のフリしたって中国人は中国人なんだからね!消えなさい、黄色ヤロ―!この馬鹿中国人!!』ひとりの女の子がそう叫んで私を思いきり3 メ―トルの高台から突き落としました。
ヘッドをかぶっていると視界が悪く何が起こったのか分からないまま、私はあっという間に地上に転がり落ちてしまいました。
目を開けると子供が狂ったように大喜びしながらこっちへ向かって走ってくるのが見えました。
『殺される、、。』
私は逃げようと立ちあがろうとしましたが、腰とひざを強く打ったようで、痛くて動けません。
さっきの女の子が私に追いつきまたケリを入れ始めます。
引率の女の人はあまりにも笑いすぎて涙を流し、懸命にそれを拭っていました。
私は這いずりながら従業員室へ逃げ、女の子は『黄色ヤロ―、馬鹿中国人!』と私のお尻を蹴り続けます。ボコボコにされた私はなんとか従業員室まで戻って来れました。
外では『戻って来い、卑怯な馬鹿中国人!』という笑い声が響きます。
その場にいたアルバイト従業員の高校生が驚いて部長に連絡を取り、即救急車を呼んでくれました。子供も大人も、ケリを入れられ高台から付き落とされる中国人の姿(ホントは日本人だけど、スウェ ―デン人にとってどっちも同じ)は、涙を流すほど滑稽でおもしろいものだと思っている。
誰も制止しない、それどころか、ゲ―ムを楽しむかのように虐待し続けていた、、。この話をスウェ―デン人にすると、『信じられない、、。』とショックを受ける人間もいるけど、『あんたがどんなブザマな姿で逃げたか想像するとウケる!』と大笑いする人間もいるのも事実。
そんなに面白いですか、中国人(日本人)がスウェ―デン人中学生に虐待される姿って、、、?
スウェ―デン人が笑いながら私に言い放った言葉が益々私の怒りを激しくさせた。
『あなたがボスニア難民だったら、こんな被害にあわなかったのにね。白人だからパッと見ただけじゃ、スウェ―デン人かどうか区別できないもん!』
日本人は、国際社会における自分たちの立ち位置を理解していないと酷い目に遭うだろう。
「自分はレイシスト(差別主義者)ではない」とうそぶく偽善者には、特に注意が必要だ。
人間は、本質的には、「自分さえ良ければ、他人はどうでも良い」という意識状態を持っており、程度の差こそあれ、例外なくレイシストの資質を持っている。
その人間同士が利害関係を調整するためには、エゴをコントロールする方法が必要だ。
それなくして、人類の共存共栄は有り得ない。
●地球に引きこもる人類
自由・平等・友愛を掲げるフリーメーソンでも、エゴをコントロールすることはできない。
人間が地球圏に引きこもっていて、宇宙空間に進出することができないのは、戦争で互いに資産(人・モノ・金)を浪費しているからである。
人類が一致団結して、戦争で浪費する資産を全て宇宙開発に投資すれば、宇宙空間も利用できるようになる。
宇宙空間が利用できるようになると、人間の生活様式はより一層拡張されたものとなり、今までになかった恩恵を享受できるのではないか?
人間が地球に引き篭もって、他人の領土や財産を奪い取るのは、自分のことしか頭にないからである。
「井の中の蛙大海を知らず」
人類は、自分で自分の首を絞めており、無智なるがゆえに無自覚である。
自分の価値基準が全てだと思い込んでいないか?と常に自分をチェックすべきである。
人種差別がなくなる日は来るだろうか?
いくつもの世界が壊れても
果てない憧れがこの胸に降り注ぐ
後悔が臆病に姿を変えていく嫌な日も
孤独につかまらない強さ忘れないで
大空のサムライ
日本人選手の質が高かったということだろう。
チームのニックネームは「侍JAPAN」。
木の棒を振り回して、玉を叩く。
野球とは、言ってしまえばそれだけのことでしかない。
そこには、生死を賭けた真剣勝負はない。
侍という言葉が、安っぽく聞こえはしないか?
侍 - goo辞書
(1)身分のある人のそばに仕えて雑用を勤める人。おつきの人。
(2)帯刀し武芸をもって主君に仕えた者。武士。さむらい。
侍は軍人であった。
軍人とは、殺人を生業とする人間である。
平時ならただの人殺しでしかない軍人が、戦時には英雄扱いされる。
なぜか?
軍人は、自らの命を危機にさらしながらも、敵と戦い、味方の命を守る。
人間には「生命欲求」(=生きたい、死にたくないという欲求)があり、その欲求を満足させてくれるから、自分にとって良いものという判断をなす。
自分を殺そうとする者から、自分を守ってくれる人はありがたい存在に見える。
「自分さえ良ければ他人はどうでもいい」という自我の基本認識にとって、軍人は都合の良い存在なのだ。
冷静に考えれば、軍人とは人殺しでしかないのだが、人殺しを賛美する理由は明快だ。
ビートたけし91年の発言
大体、平和とか反戦とか口にする奴というのは自分は安全な所にいて、高みからものを見ているに過ぎない。
もし戦争反対と言うなら、自分が殺されても構わないという覚悟ができなければ嘘だね。
安全圏で言うんじゃなくて、家族全員皆殺しになっても異議を唱えませんというような状況で発言しないと。
どこかの国が攻めてきた時、家族皆でさあ殺せ、いいですよ、と言う人なら戦争反対を語ってもいいけど自分が殺される状況なら武器を取るよ、と言った瞬間にその人は平和主義者ではなくなるんだ。そんな日本人が表面的な、綺麗事で戦争批判をしても当事者からしたら「何言ってやがるんだ」という話でさ。
そういう偽善者は一切海外に出ないとか、もし外国行っても目立たないように黙って暮らすしかないだろう。
卑怯者には卑怯者の生き方がある。海外で重要な立場に立つというのはとんでもない責任を負う事なんだよ。
変に関係ない所から平和だとか言うからおかしくなるんでね。
そんな偉そうな事を言える民族じゃないんだよ。労働組合を入力する最初の状態は何だったの
・軍人は不要だという人は、自分の身は自分で守るしかない。
・武器を持つなという人は、自分を殺そうとする武装勢力の前で、無力な存在になるしかない。
動物は、弱肉強食=強い者が弱い者をいじめる構造になっている。
軍人は、動物と違って、弱い者をいじめるのではなく、弱い者を庇護する。
そこに、軍人による殺人行為を肯定する大義名分が与えられる。
他人のために自分の命を差し出すなんてことは、普通無理だ。
本当は自分を守るために戦うのであり、他人の庇護はオマケだ。
杉良太郎 - 君は人のために死ねるか
昔 人は戦で死んだ
国のため戦って 黙って死んだ
いま熱い血はどこにもない
泣くことさえ人は忘れた
君は人のために死ねるか
人間の本性が露になる状況には、3つある。
(1) 窮地に追い込まれたとき
(2) 一人になったとき
(3) 有頂天になっているとき
口先では綺麗ごとを言っている人でも、いざ自分の死に直面すると、必ず生命欲求が出てきて、やっぱ死にたくないと思う。
坂井三郎 - Wikipedia
太平洋戦争時における日本のエース・パイロットとして知られる。
戦後に海軍時代の経験を綴った著書『大空のサムライ』は世界的ベストセラー。特攻作戦については愚かな作戦と批判しており、「特攻で士気があがったと大本営は発表したが大嘘。『絶対死ぬ』作戦で士気があがるわけがなく、士気は大きく下がった」とインタビューに答えている。
命を賭けて戦うことがなくなった日本は平和だ。
玉遊びで侍?
侍という言葉が、安っぽく聞こえはしないか?
イスラエルの原爆投下
(選民思想はユダヤ人だけにあるものではなく、実際問題として、他の人間や生物を殺している人たちは、この地球にたくさんいる/いたわけだが。)
イスラエル極右政党党首、「ハマスには第2次大戦での日本と同様の対処を」
【1月14日 AFP】イスラエル極右政党「わが家イスラエル(Yisrael Beitenu)」のアビグドル・リーバーマン(Avigdor Lieberman)党首は13日、イスラエル政府は第2次世界大戦で日本を降伏させた米国の例に従うべきと発言した。
同国英字紙エルサレム・ポスト(Jerusalem Post)電子版によると、リーバーマン氏は、テルアビブ(Tel Aviv)近郊のバーイラン大学(Bar-Ilan University)での演説で、「米国が第2次世界大戦で日本に行ったのと同じように、イスラム原理主義組織ハマス(Hamas)と戦い続けなければならない」と主張した。
日本は1945年、広島と長崎に原爆を投下された後、降伏している。
リーバーマン党首はさらに、「ハマスが権力の座にいる限り、イスラエルの安全は確保されない。したがって、われわれは戦いを続けようとするハマス側の意志を打ち砕くことを決心をする必要がある」と語った。
Lieberman: Do to Hamas what the US did to Japan | Israel | Jerusalem Post
Jan 13, 2009 15:05
Operation Cast Lead must continue until Hamas "loses the will to fight," Israel Beiteinu chairman Avigdor Lieberman said on Tuesday.
Yisrael Beitenu Chairman..."Israel won't be secure so long as Hamas is in power, and therefore we need to come to a decision that we will break the will of Hamas to keep fighting," he said during a speech at Tel Aviv's Bar-Ilan University.
"We must continue to fight Hamas just like the United States did with the Japanese in World War II," Lieberman added. "Then, too, the occupation of the country was unnecessary."
In 1945, Japan unconditionally surrendered to the US following two atomic bomb attacks on Nagasaki and Hiroshima. A ground invasion of mainland Japan had been prepared at the time, but was avoided due to the Japanese capitulation after the bombings.
Israel Beiteinu is currently the fifth largest party in Israel, and, according to an average of all polls taken since the start of the campaign season, is expected to become the fourth largest party in the next general election.
Japanese Radio - イスラエル、ガザ地区への原子爆弾投下を示唆
2009/01/14 Wednesday 15:12:23 IRST
シオニスト政権・イスラエル政府当局のある関係者が、ガザ地区攻撃での原子爆弾の使用を示唆しました。
フランス通信が、ベイトルモガッダス・エルサレムから伝えたところによりますと、イスラエルの前戦略問題担当大臣で、極右政党「我が家イスラエル」のリーバーマン党首が、13日火曜、「ガザ地区での、パレスチナイスラム抵抗運動ハマスを打倒するには、原子爆弾を使うしか方法はない」と述べています。
リーバーマン党首は、ガザ地区での様々な闘争グループ、特にハマスとの対決に苦戦している、とした上で、「アメリカが第2次世界大戦を終結させるのに、日本のヒロシマやナガサキに原子爆弾を投下したことに倣い、イスラエルもガザ地区に原子爆弾を投下する必要がある」と述べています。
ユダヤ人がゴイムを殺すときは、無差別かつ徹底的に殺す。
なぜなら、それがユダヤ人の自己保全にとって、効果的だからだ。
「イスラエル軍、白旗掲げた住民に銃撃」人権団体の報告書
【エルサレム=三井美奈】イスラエルの人権団体ベツェレムは13日、紛争が続くパレスチナ自治区ガザ南部で、白旗を掲げて自宅から避難しようとした50歳の女性ら複数の住民が、同国軍の銃撃を受け、死亡したとする報告書を発表した。
報告書は住民証言を元にしており、女性が死亡したのに続き、軍の避難勧告を受けた周辺住民約30人が、白旗を掲げて避難先の学校に向かっていた際に銃撃され、3人が死亡したという。国軍は、「イスラム原理主義組織ハマスは住民を盾にして攻撃を続けている」と述べ、ハマスに責任があると主張している。
(2009年1月14日21時01分 読売新聞)
マーケットの馬車馬: イスラエルのしっぺ返し戦略
The Economistの先週号と今週号の記事を読んでいて「うまいこと言うなぁ」と思ったのは、イスラエルの戦略をtit-for-tat戦略であると表現していた点だ。
Tit-for-tat戦略というのは、何らかの交渉事において、「とりあえず最初は相手と協力を試み、相手に裏切られたらこちらも裏切り、相手が協力する限りはこちらも協力し続ける」という、ゲーム理論ではおなじみのしっぺ返し戦略の一種だ。「ぎりぎりまで我慢して、しっぺ返しは徹底的に」という戦略は、中途半端なしっぺ返しを繰り返すよりも効率がよいことが知られている
外国から見れば、日本はアメリカに原爆を落とされて、アメリカの属国になった国に見える。
日本人が見ても、日本は独立国家ではなく、アメリカの属国、一つの州であることが分かる。
・アメリカが、戦後日本の憲法を作った。
・アメリカの軍隊が、現在もなお日本に駐屯している。
・日本は毎年アメリカに多額の献金をして、アメリカの命令に従っている。
アメリカが日本を属国にした方法を見習い、イスラエルもパレスチナに原爆を投下すればいいという。
イスラエルが原爆を使ったら、どれくらいのパレスチナ人を殺せるだろうか?
任意の場所で核爆発をシミュレーションできる『Google Maps』マッシュアップ
『Google Maps』の新しいマッシュアップ『Ground Zero』では、自分が選択した地点を中心にした核兵器爆発による熱の被害を、半径ごとに区切った範囲で教えてくれる。
この視覚化ツールは、オーストラリアのデータ管理サービス企業Carlos Labs社が運営している。見たところでは、『米国科学者連盟』(FAS)と同じ(あるいは類似した)データが使われているようだ。
Ground Zero
This mapplet shows the thermal damage caused by a nuclear explosion.
Search for a place, pick a suitable weapon and press "Nuke It!"
原子爆弾は、ユダヤ人科学者によって開発された。
アメリカが日本に投下した原爆「Little boy(チンコ)」「Fat man(ブタ野郎)」程度の破壊力の原爆を、シミュレーターによってパレスチナに投下してみると、ガザ地区がほぼ壊滅状態になるようだ。
=ユダヤ人がゴイムを処分するために、戦術核兵器を使えば良いという主張は、ちょうど良い方法であることが分かる。
持続可能な地球を維持するために、人口を削減すべきだと判断した場合、Googleのマッシュアップで作られた原爆投下シミュレーターを使うと便利だろう。
=ユダヤ人が、どれくらいゴイムを抹殺すれば良いのか、手軽にシミュレートできる。
「将来、世界政府で必要とされる道具は、すべて自分たちで作ろう!」と頑張っているGoogleだから、そのツールは実に便利だ。
しかし、皮肉なことに、イスラエルが近隣諸国に対して原爆を投下すると、その放射能汚染が自国にまで及ぶ危険性があるだろう。
ユダヤ人は、今後もゴイムの抹殺をやめるつもりがないのなら、せめて原爆よりももっと洗練された、クリーンな科学兵器を使うべきではないのか?
イスラエル軍の殺人常習者たちは、地球に優しくエコロジーで、殺される人にも喜んで死んでもらえるような殺し方ができないのだろうか?(=できるわけがない。)
歴史を振り返ると、科学技術の発展は、すべて殺人のために利用されていることが分かる。
「自分さえ良ければ他人はどうでもいい」という人間のエゴについて考えるとき、綺麗事だけでは済まされない。
かつて強大な勢力を誇ったローマ帝国も、欲望の追求の果てに瓦解した。
もし、全人類を支配することができた者がいたとしても、その支配者であってさえも死ぬときには全てを失うことになる。
永遠の支配者、完全な支配者になれる者など、誰一人としていないことは、自明であると言わざるを得ない。
他人の不幸の上に「幸福」を築こうと奔走している者=自分の利益しか考えていない連中は、この厳然たる事実を知ったほうがいい。
ユダヤ人は、ユダヤ教の選民思想、ゴイム粛清が、全く価値のないものであるということを理解できる知性を持ち合わせているだろうか?
心臓の中にいる私
「自分は偽物の人間みたいで、まるで本当には存在しないようだった」
という話があった。
・自己アイデンティティ(=これが自分だと思っているもの)は、心臓の中にある。
・心臓移植によって、人格が変わったり、記憶が移転するという話もある。
米国人少女、心臓なしで118日間持ちこたえる=医師団
2008年 11月 20日 10:57 JST
[マイアミ 19日 ロイター] 拡張型心筋症を患った米国人少女(14)が、移植できるようになるまでの118日間、心臓がないまま血液循環のための人工装置によって生き永らえたことが分かった。当地の医師団が19日、明かした。医師団は、ドイツで成人が同様の処置により9カ月間生存したケースが1件あったものの、子どもでこれほどの期間持ちこたえたのは初めてとしている。
患者の少女は、マイアミ大ジャクソン記念病院で会見し「自分は偽物の人間みたいで、まるで本当には存在しないようだった」と心臓がないときの心境を振り返った。
US teen lives 118 days without heart
Wed Nov 19, 2008 3:16pm EST
By Jim Loney
MIAMI, Nov 19 (Reuters) - An American teen-ager survived for nearly four months without a heart, kept alive by a custom-built artificial blood-pumping device, until she was able to have a heart transplant, doctors in Miami said on Wednesday.
The doctors said they knew of another case in which an adult had been kept alive in Germany for nine months without a heart but said they believed this was the first time a child had survived in this manner for so long.
The patient, D'Zhana Simmons of South Carolina, said the experience of living for so long with a machine pumping her blood was "scary."
"You never knew when it would malfunction," she said, her voice barely above a whisper, at a news conference at the University of Miami/Jackson Memorial Medical Center.
議論は、それは次のように定義されます。"It was like I was a fake person, like I didn't really exist. I was just here," she said of living without a heart.
Simmons, 14, suffered from dilated cardiomyopathy, a condition in which the patient's heart becomes weakened and enlarged and does not pump blood efficiently.
She had a heart transplant on July 2 at Miami's Holtz Children's Hospital but the new heart failed to function properly and was quickly removed.
Two heart pumps made by Thoratec Corp (THOR.O: Quote, Profile, Research, Stock Buzz) of Pleasanton, California, were implanted to keep her blood flowing while she fought a host of ailments and recovered her strength. Doctors implanted another heart on Oct. 29.
"She essentially lived for 118 days without a heart, with her circulation supported only by the two blood pumps," said Dr. Marco Ricci, the hospital's director of pediatric cardiac surgery. During that time, Simmons was mobile but remained hospitalized.
When an artificial heart is used to sustain a patient, the patient's own heart is usually left in the body, doctors said.
In some cases, adult patients have been kept alive that way for more than a year, they said.
"This, we believe, is the first pediatric patient who has received such a device in this configuration without the heart, and possibly one of the youngest that has ... been bridged to transplantation without her native heart," Ricci said.
Simmons also suffered renal failure and had a kidney transplant the day after the second heart transplant.
Ricci said her prognosis was good. But doctors said there is a 50 percent chance that a heart transplant patient will need a new heart 12 or 13 years after the first surgery. (Editing by Cynthia Osterman)
記憶転移 - Wikipedia
記憶転移(きおくてんい)とは、臓器移植に伴って提供者(ドナー)の記憶の一部が受給者(レシピエント)に移る現象である。
記憶転移が起こり得るかもしれないという噂が広まれば、今でも不足しているドナー提供がさらに少なくなるのではないかと危惧する意見もある。
X51.ORG : 心臓移植で転移する人格 - 記憶は細胞に宿るか
これらいくつかの推測のうち、現在最も物議をかもしているのは「細胞記憶理論」、そして「組織的記憶理論」である。これらは即ち、細胞や原子、さらには分子それ自体が生体の記憶やエネルギーを保持し、この場合においては心臓移植によってその情報が臓器と共にドナーから受領者に転移するというものである。
いまわのきわ
自分で自分に嘘をついても、得るものは何もない。
人間は死ぬとき、どうなるのか?
人間の意識は、肉体に依存せず存在し得るものなのか?
そもそも、意識の発生機序は、どうなっているのか?
誰かの説明を待つまでもなく、その答えを自分で知ることはできるのだろうか?
多くの人は、せいぜい数十年という短いタイムスパンの中で、生の営みをとらえている。
人間の思考は、「今さえ良ければそれでいい」という刹那的な価値観に縛られているが、その原因は人間がどういう仕組みで成り立っている存在なのかを理解していないからである。
我々は無智であり、全知全能の存在ではない。
ソクラテス曰く「無知の知」と。
すべての命題に対して、完全な解答を導き出せる人間は、今どこかにいるだろうか?
ゴージャス松野、一時心肺機能停止していた
11月12日8時1分配信 サンケイスポーツ
女優、沢田亜矢子(59)の前夫で、タレント兼レスラーのゴージャス松野こと松野行秀(47)が一時心肺機能停止状態に陥り、現在緊急入院していることが11日、分かった。
所属事務所によると、松野は今月3日、福島・西会津での仕事を終え、午後8時ごろから福島市内の飲食店でビールを飲んだ。1時間後、トイレで倒れているのを、付き人でパートナーの演歌歌手、田代純子(53)が発見。救急車で同市内の病院に搬送され、心肺停止状態だったため、心臓マッサージと気管切開を受け、奇跡の生還を果たした。
サンケイスポーツの取材に松野は「抗うつ剤を飲んでいました」と話しており、薬にアルコールが影響し急性肝不全状態になった可能性もある。心肺停止時の記憶 については「外の声は聞こえるけど体が動かなかった。三途の川は見えなかったし、息苦しいだけだった」と臨死体験を生々しく語った。
1週間程度で退院し、15日に東京・高円寺で行われるロックイベントに出演する予定。
ゴージャス松野 心臓停止から復活していた
2008/11/10 16:23
プロレスラーでタレントのゴージャス松野(47)が、生死の淵をさまよっていたことを自身のブログで明らかにした。8日に更新したブログでは、その日が入院6日目であったことを明らかにした上で「今だからお話し出来ますがこの私、結構危ない状態だったのです」と告白。
ゴージャスは体調を崩した結果救急車で運ばれ、医師からの処置を受けたが「手を尽くしましたが残念です…」という診断をされたという。その後心臓マッサージ、酸素吸入、その他諸々の救命処置を行ったのだが「でも、その努力も空しく、心臓は停止したまま、瞳孔も開き、血圧も下がり…」という状況にまで陥った。
そんな状態ながらもゴージャスには断片的な意識があり、医師の「残念ですが…」という諦めの言葉が 聞こえていた。だが、その後ゴージャスは蘇生。突然ベッドから起き上がって救命室の外へ出て行く。
だが、本人は何をしに出て行ったのかは覚えていない。そして、その場に付き添っていた恋人で演歌歌手の田代純子さんはこのことについて「医師が二人とも唖然として『奇跡だ』と言っていた」と語ったようで、一旦はさじを投げた医師でさえ驚く復活劇となったようだ。
本人のブログがあった。
ゴージャス松野の『ゴージャスコラム』
大騒動。
入院六日目の夜です。
今だからお話し出来ますがこの私、結構危ない状態だったのです。
救急車で病院に運ばれ、処置を受けたのですが、医師から一度は「手を尽くしましたが残念です…」という診断をされてしまったのです。心臓マッサージ、酸素吸入、その他諸々の救命処置。
でも、その努力も空しく、心臓は停止したまま、瞳孔も開き、血圧も下がり…。
私、そんな状態でも何故か断片的に意識が有り、状況を理解してました。
勿論、医師の言葉も耳には入っていて、「残念ですが…」という言葉も聞こえていました。「何だよ、もっと頑張れよ」そんなことを心に思い浮かべていた私。
そんな私が突然ベッドから起き上がり、救命室の外へ出て行ったのです。何をしに行ったのか今でも思い出せませんが…。
付き添っていた田代純子言く「医師が二人とも唖然として『奇跡だ』と言っていた」そうです。
医学的には、
・呼吸停止
・心臓停止
・瞳孔の散大
の3つの条件が揃うと、肉体が活動を停止した状態=死と判定される。
しかし、この3つの条件が揃っても、まだ聴覚は残っていることは知っておいたほうがいい。
死んでも耳は聞こえる
死に行く人は、まだ耳が聞こえていても、その前段階で口が動かせなくなっているので、周りの人に伝えることができない。
外側からだけ見ていると分からないかもしれないが、人間が「シャットダウン」するとき、器官を停止していく順番がある、ということだ。
【"いまわのきわ"の続きを読む】
物を貯め込む習性
これは、貪り〜執着する心の働きが具現化した一つの事例であると思う。
ごみ屋敷 歩道ふさぎ道交法違反容疑で強制捜査へ 埼玉
10月10日10時58分配信 毎日新聞自宅前の歩道に大量のごみを放置し、交通を妨げたとして埼玉県警行田署は、行田市に住む70代の自営業者の男について、道路交通法違反(道路における禁止行為)容疑で近く強制捜査する方針を固めた。県警によると、ごみをため込んで近隣の迷惑となる「ごみ屋敷」問題で、所有者を道交法違反容疑で捜査するのは異例という。
調べでは、男は自宅前の歩道に交通の妨害となるような物を放置した疑い。
男は97年ごろから家具や自転車などのごみを拾ってきて自宅前に置くようになったといい、歩道の半分をふさいでいる。周辺住民から「自転車の中学生がごみで転んだ」「歩行者がごみを避けて車道に飛び出すので危ない」などの苦情が寄せられていた。
男は今年1月に道交法違反容疑で摘 発され、罰金1万円を科された。その後も行田署や県の出先事務所、市が再三撤去を要請したが応じなかった。
道路における禁止行為のうち、交通の妨げとなる物を放置することへの罰則は3月以下の懲役または5万円以下の罰金。【町田結子】
心の働きを分類する場合に、一つの分類方法として、
・貪(とん)
・瞋(じん)
・癡(ち)
という三つの要素に分類する方法がある。
貪は、貪り、執着する心の働きである。
瞋は、怒り、嫌悪の心の働きである。
癡は、無智、満足する心の働きである。
貪りのメリット、デメリットを検討すれば、「物を貯め込むだけでは意味がない」と気づくのではないか?
物〜道具は、使えば役に立ち恩恵をもたらすが、使わなければ無用の長物であり生活空間を狭くしてアメニティ(快適性)を低下させる要因にしかならない。
●発想の転換で「片付け」
「まだ使える物を捨てるのはもったいない」という考えによって、不要物を貯め込んでいる場合は、発想を転換すればいいと思う。
「まだ使える物だけど、今の自分は使わない物」に対しては、「誰か必要としている人に使ってもらえばいい」と考えればいいのではないか?
つまり、リサイクルとして他人に使ってもらえば、「もったいない」という気持ちを持ったままでもOKだし、活用した人が喜んでくれれば、自分が提供したおかげなわけだから、自分も嬉しくなるだろう。
使う人が誰であれ、道具は活用されてこそ、その価値が増大する。全く活用されることがなければ、あってないような物だと言えるだろう。
●TPO
荒野を旅している人が、川が流れているところに来た。
旅人は、川を渡るために、木の棒を集めていかだを作った。
いかだを使って、旅人は川を渡った。
川を渡った旅人は、「このいかだはとても役に立った。自分の持ち物にしよう。」と考えた。
・川を渡るという目的を果たしたら、いかだの出番は終わり。
・いかだは川を渡るときに便利だが、重たいので持ち運んで旅を続けると、大きな疲労をもたらす。
・次に川へ来た誰かが、新たにいかだを作る手間を省けるように、いかだを川辺に置いて去ればいい。
すべての所有物をいったん放棄して(あるいは他人にプレゼントして)、本当に必要な物だけを揃え直してみると、人間が生きていくために必要な物は、案外多くないことに気づく。
ゴミ屋敷に住んでいる人は、少しの物で生活する軽快さを味わうために、不要物をリサイクルで他人にプレゼントしてみてはいかがだろうか?
どうしても片づけられないあなたへ 不要なモノを捨てて豊かに暮らすための簡単な方法 (2008/02/27) ピーター・ウォルシュ 片づけは、モノを「捨てる」ことがゴールではありません。 商品詳細を見る なぜ南極条約では、設定された |
今年に入ってから片付けに集中。
問題は「思い出のモノ」。
過去の、死んだ自分の遺品だと思って処分中です。「物持ちが良くて」と思っているものの、「古くて汚いもの」は買い換えてもいいんじゃないかと思っています。
もっとも、家族・同居人がいると簡単にはいきませんがね。
この本にもありますが、ある程度の衝突は覚悟。
捨てるのはさておき、きれいになるのは納得してくれるはず。気持ちが鬱になってる時、頑張らなくてもいいから、まずは集中できる何かを見つけてみましょうよ。それには片づけが最適。
思い出のモノを捨てて思い出に浸ろう。
そうすれば、「反省」せずに「発見」できます。
片付けている最中は「片づけ日記」を書くといいです。
いつ、段ボールにどれだけ処分したかとか記録していくと、何キロ減量みたいに励みになりますよ!
お部屋も心もすっきりする 持たない暮らし (2006/12/01) 金子 由紀子 いくら片づけてもすぐに散らかってしまう、モノだらけの部屋にストレスを感じている・・・そんなあなたのために、お金をかけず、すぐにはじめられて、いつの間にか部屋がキレイになる魔法の習慣をお教えします。 商品詳細を見る |
スティグマとヴァルネラビリティ
全ての人間を等価、同じ状態にすることはできない。
人間を観察するならば、必ず個体差が存在することに気づくはずである。
個体差が存在する限り、人間の不平等は完全にはなくならない。
従って、人間の不平等をなくそうとする運動は、全てが失敗するのである。
では一体、人間は平等にはならないという前提で、どのようにして不平等と向き合っていけばよいのか?
結論から言えば、
(1)「個体差を生み出しているものは何か?」を知り、
(2)生後の努力によって、個体差=自分に足りないものがあれば自分で補うしか方法がない。
他人に与えてもらうものは、あくまでも二次的なものであり、期待しているともらえなかったときは失望に変わるだけだ。
社会的弱者、弱い立場に置かれている人たちには、何らかの共通性や特徴、欠点があるのだろうか?
「社会心理学」という学問分野では、人間の不平等について、いろいろと考察が重ねられてきた。
弱者の特徴は、「スティグマ」や「ヴァルネラビリティ」という概念によって指摘されている。
自分の欠点を知り、改善するための参考として活用できるだろうか?
スティグマ - Wikipedia
・ 奴隷や犯罪者の徴、 烙印、刻印。
・ 聖痕 - イエスが磔刑となった際についた傷。
・ 不名誉や屈辱の徴。汚点、汚名。アーヴィング・ゴッフマンが「スティグマの社会学」で用いた。
スティグマとは - はてなダイアリー
他者や社会集団によって個人に押し付けられた負の表象・烙印。
いわばネガティブな意味のレッテル。もともとは、奴隷や犯罪者であることを示す刺青などの肉体的刻印のことを指す言葉であった。
現在流通している用法は社会学者ゴフマンが1963年『スティグマの社会学』の中で提示した。
彼は、スティグマを負った人々への劣等視が社会的に正当化されていることを論じた。
その結果、スティグマを負った人々は差別という形で様々な社会的不利を被ることになるのである。
他人から与えられた評価を、自己評価(=自分で自分のことをどう思うか?)と結び付けなければいい。
プライドの高い人〜「他人に良く思われたい」、孤独に耐えられない人〜「他人と仲良くしたい、愛されたい」という欲求の強い人は、他人から与えられる評価に翻弄されやすい。
悪口を言われても、一人ぼっちになっても死ぬわけじゃないし、他人と自分を比べるだけでは、自分が何かを得られるわけではない。
ノーベル賞をもらったり、金メダルをもらって喜ぶような人は、他人の評価に翻弄されて喜びを得ている半面、逆に叩かれたらすごく気にしてしまうのではないか?
Socius_社会学感覚20スティグマ論
役割としての社会的弱者
子ども・高齢者・病者・障害者・低所得者・失業者・公害被害者といった役割
…におかれている人びとは一般に「社会的弱者」とよばれている。
能力中心主義の近代産業社会にあって、社会的弱者はなんらかの不利益をこうむることが多かった。
そこで現代社会では、さまざまな福祉サービスを保障することによって、実質的な平等への努力がなされつつある。
とはいうものの、社会的弱者は一般に暴力や犯罪の対象にされやすいし、こと企業社会においては、あいも変わらず成年男子の健常者中心の組織文化が支配している。
スティグマとは、望ましくないとか汚らわしいとして他人の蔑視と不信を受けるような属性と定義される。
これは、ある属性にあたえられたマイナス・イメージと考えてよい。
スティグマとなりうる属性としては、病気・障害・老齢などの肉体的特徴、精神異常・投獄・麻薬常用・アル中・同性愛・失業・自殺企図・過激な政治運動などから推測される性格的特徴、人種・民族・宗教に関わる集団的特徴などがある。
ゴッフマンによると、ある特定の特徴がスティグマを生むのではないという。
たとえば、目や足が不自由なこと自体がスティグマなのではない。
それに対する他者のステレオタイプな反応との関係がスティグマという現象なのである。
つまりスティグマの本質は「その人の特徴に対する否定的な周囲の反応」といっていいだろう。
だから、老一般が日本社会でスティグマになるのは、日本社会が老いの積極的意味をみいだせないでいるために、老いに対して周囲が否定的な反応しかできないことによるのである。
誰にも訪れる「老い」。
老いによってもたらされるスティグマは、他人の評価はともかく、自分でも無視するのは困難だろう。
ヴァルネラビリティとは - はてなダイアリー
社会学や現代思想の分野では「可傷性・暴力誘発性・傷つきやすさ」などと訳される。
軍事用語やコンピュータ用語としては「脆弱性」と訳されるのが一般的。
→vulnerability
Socius_社会学感覚20スティグマ論
ヴァルネラビリティと有徴性
人類学では、攻撃を招きやすい性格のことを「ヴァルネラビリティ」(vulnerability)という。
「攻撃誘発性」とか「被撃性」と訳される概念である。
ヴァルネラビリティの基本要素はなにか。
それは記号論の用語でいう「有徴性」である。
徴(しるし)のあるのが有徴、ないのが無徴である。
有徴な項が析出して、それによってはじめてその他大勢が「〈それ〉でないもの」として定義される。
「フツー」とはそういうものなのである。
ある特性だけがいつも有徴なのではない。
状況によってなにが有徴となるかは異なる。
たとえば、ゴッフマンがスティグマの例にだしているように、大卒という属性も、おかれている集団によってスティグマになる。
また、帰国子女がしばしばいじめの対象になり、差別されていると感じるのが英語の時間であることは、かれらが「生きた英語」を知っているという優越のためである。
また「女教師」「女医」ということばは、男性中心の教員の世界・医師の世界において女性が少数で有徴だったことを示している。
「この世の現われは、嫉妬と妬みだけ」
「出る杭は打たれる」
人間は、生まれたときからこの世が不平等にできていることをよく知っているがゆえに、他人に対する羨望、嫉妬、ねたみを持つ。
しかし、自分が弱者であるとか、誰かと比べて劣った人間であると自覚しても、卑屈になる必要はない。
=卑屈さはプライドの裏返しであり、卑屈な人というのは、実はとてもプライドの高い人間なのである。
個体差が存在するということは、言い方を換えれば、カルマが存在していると言うこともできる。
人間の置かれている状況を、外的に観察すると「スティグマ」「ヴァルネラビリティ」という特徴に気づく。
視点を変えて、内的に観察すると「カルマ」という要素に気づく。
この外的な観察、内的な観察の両方が欠如している人は、不平等の仕組みを理解して、自分が置かれている状況を変えていくことが困難なのではないだろうか?
共産主義の改良
フランスの国旗 - Wikipedia
フランスの国旗は通称トリコロール(Tricolore, 三色の意)と呼ばれる旗。
青は自由、白は平等、赤は博愛(友愛)を表わす。
・自由を追求すると、平等が損なわれる。
・平等を追求すると、自由が損なわれる。
自由と平等は、どちらかをとればどちらかが立たないというトレードオフの関係になっており、そのままではうまく両立しない。
・自由と平等を両立させるためには、博愛(友愛)が必要だと考えられた。
平等を実現する一つの方法として、共産主義が考案された。
マルクスの共産主義およびその派生の思想は、理想と現実が乖離しており、うまく平等をもたらすことができなかった。
しかし、マルクスの「資本論」は無価値というわけではなく、問題提起の材料としては再利用可能な部分も残しているのではないか?
共産主義の失敗した部分=問題解決のための方法論の部分=を止揚・改良していけば、前世紀の人々の試行錯誤も無駄にならないだろう。
共産主義が消滅したからといって、人の不幸がなくなるわけではない。
ネグリを歓待しなかった日本政府
2003年に『帝国』の邦訳が出たとき、週刊ダイヤモンドの書評で「現代の『資本論』」と絶賛した。
サヨクにありがちな「反グローバリズム」とか何とかいう幼児的な議論ではなく、グローバル化を超えた先に新しい世界秩序を展望する彼らの思想は、マルクスを(いい意味で)継承するものだ。
グローバル化する政治経済の未来を予見する現代の『資本論』
本書の原著は二〇〇一年、同時多発テロの直前に出版され、九・一一以後の米国の行動を予言したことで話題になった。テロリストの容疑で投獄されている著者(ネグリ)の本がハーバード大学から出版されて世界的ベストセラーになり、「現代の共産党宣言」などと絶賛されたのは、ほとんど一つの事件だった。しかし、本書はむしろ現代の『資本論』といった方がよい。ちょうどマルクスが当時の哲学・経済学・社会主義を総合したように、本書は「ポストモダン」の哲学と社会科学を総合して現代の世界の壮大な見取り図を描いているからだ。
いま起こっているのは、主権国家が<帝国>というグローバルな支配権に統合される過程だ、と本書は述べる。かつて国家は、国内産業の経済活動を<インターナショナル>に仲介する役割を果たしたが、今日では企業も個人も情報ネットワークによって直接<グローバル>につながっており、国家にも、その集合体としての国際機関にも最終的な支配権はない。
著者は帝国を批判するが、「反グローバリズム」を提唱するわけではない。彼らが帝国に対置するのは、マルチチュード(多数性=民衆)である。国家や企業によって世界を管理するための秩序としての帝国に対抗して、世界の民衆が直接に連帯する、もう一つのグローバル化がマルチチュードだ、という
アントニオ・ネグリというイタリア人が、マルチチュードという概念を提唱して、国民のあり方=個人のつながり方を問うているらしい。
マルチチュード - Wikipedia
マルチチュード(Multitude)とは、マキャベリによって最初に使用され、その後スピノザが用いた政治概念である。
最近では、アントニオ・ネグリとマイケル・ハートの帝国論を契機として再び注目を集めている。ネグリはマルチチュードについて、いわゆる19世紀以降の社会主義に代表される革命に見られた多様性と差異性を無視したこれまでのありかたとは異なり、統合されたひとつの勢力でありながら多様性を失わない、かつ同一性と差異性の矛盾を問わぬ存在としている。
マルチチュードとは - はてなダイアリー
一つの勢力でありながら、多様性を失わない、また多様性を失うことも求められないような多数者のことである。
ネグリとハートによれば、マルチチュードは「統一性/多様性」や「同一性/差異性」という矛盾にとらわれない存在であり、統一されていながら多様性を失わない、また、共通性を持ちながらそれぞれの差異を失わない存在である。
それが同一性・統一性を求められた(または差異性・多様性を無視された)「人民」などのこれまでの革命主体との違いであるという。
中国は、様々な民族を束にした国家である。
中国語は、マンダリン(中国の標準語=北京官話)だけでなく、様々な方言がある。
天安門事件、チベット弾圧…旧態依然とした中国共産党政府の統治方法に、多くの反発が出てきた。
反発があるということは、どこかに無理があることを意味している。
中国は、このままでは現状維持に困難があり、遅かれ早かれうまくいかなくなる時期が来る。
中国が向かうべき一つの方向性として、武力で脅して国民を一つにまとめるのではなく、華僑を含む巨大な人的ネットワーク(マルチチュード)を最大限に活かす方向を模索すべきではないか?
インターネットの出現によって、国境を越えた人々の連帯が可能になってきた。
言葉の壁は残されているが、英語を使えばある程度連帯可能だろう。
世界政府
「世界政府っていうものが仮にあるとして、そこで開発しなければならないはずのシステムは全部グーグルで作ろう。それがグーグル開発陣に与えられているミッションなんだよね」
グーグルに勤める友人は私にこう言った。
恐ろしいことを考えているんだなぁと思ったが、目が澄み切っている彼らは、こういうことで冗談は言わない。
本気でそう考え、次々と手を打っている。
衆愚政治 - Wikipedia
衆愚政治(しゅうぐせいじ)とは、多数の愚民による政治の意で、民主政治の蔑称。
有権者の大半が知的訓練を受けずに参政権を得ている状況で、その愚かさゆえに互いに譲り合い(互譲)や合意形成ができず、政策が停滞してしまったり、愚かな合意が得られたりする状況をさす。
また有権者がおのおののエゴイズムを追求して意思決定する政治状況を指す。
民主政を揶揄して用いられる言葉。
インターネットの時代を迎えて、共産主義を経験したロシア、中国、北朝鮮、キューバ等は、今後どのような進化を遂げることができるだろうか?
収容所群島 - Wikipedia
『収容所群島』 は、ロシアのノーベル賞作家、アレクサンドル・ソルジェニーツィンの小説。
ソロヴェツキー諸島の強制収容所・グラーグで行われた、何千人もの「反革命分子」に対する凄惨な拷問と処刑を告発する書である。
キューバ - Wikipedia
歴史
アメリカとキューバの関係は一挙に悪化したが、1965年にアメリカとキューバは、反体制派キューバ人のアメリカ亡命を認めることで合意し、1973年までに26万人以上がキューバを去った。
ソビエトは、邪魔者を殺した。→体制は崩壊した。
キューバは、邪魔者を逃がした。→体制は存続している。
中国は、邪魔者と共存共栄できるだろうか?
自由・平等・博愛のうち、中国に足りない要素は何か?
インターネットの出現によって加速するグローバル化の果てにあるもの=マルチチュードのコントロールは、博愛がなくても実現可能なのか?
我々は、その答えの一つを、中国のチベット問題に見出すことができるかもしれない。
鳴かぬなら殺してしまえほととぎす (織田信長)
鳴かぬなら鳴かせてみようほととぎす (豊臣秀吉)
鳴かぬなら鳴くまで待とうほととぎす (徳川家康)
鳴かぬなら鳴かなくてよいほととぎす (作者不明=山頭火?)
擬似乱数
相対的な世界は、因果律によって形成されているのだろうか?
因果律 - Wikipedia
因果律(いんがりつ)とは、いかなる事象も時間的に過去に起こった事を原因として起こる(あるいは、「非決定論的立場」に立つならば「純粋に偶然に起こる」場合も含む)のであって、少なくとも未来の事象を原因としてそれよりも過去の何らかの事象が起こることだけは存在しない。
あるいは、当然の論理的帰結としてあり得ない、とする科学説、あるいは、立場である。
自分の言葉でいうと、因果律とは「原因→条件→結果」という流れで現象が起きることである。
因果律は成立するのか、それとも成立しないのか?
森羅万象は「必然」なのか、「偶然」なのか?
●完全な偶然
数学や科学の分野の知見を調べると、因果律の完全な証明=どんな人にでも理解できる因果律の理論というものは、まだ発見・発明されていないようだ。
逆に、因果律が成立しないことを証明するためには、完全な「偶然」による現象の存在が提示、証明されなければならない。
完全に偶然な現象であることが保証されるためには、他の影響を一切受けない現象を発見する必要がある。
=他からの影響を受ける現象は、操作可能ということにつながり、偶然の完全性が保証されない。
●乱数
身近な偶然の現象の事例として、乱数を考えてみた場合、まったく他の影響を受けない乱数って作れるのかな?
乱数列 - Wikipedia
乱数列(らんすうれつ)とはランダムな数列のこと。
数学的に述べれば、今得られている数列 x1, x2, ..., xn から次の数列の値 xn+1 が予測できない数列。
乱数列の各要素を乱数という。
乱数の生成法
コンピュータは有限オートマトンとみなせるので、外部からの入力がない限り計算によって求める確定的な擬似乱数しか生成できない。
コンピュータがなかった当時は「乱数賽」(1〜0の全ての数字が1/10の確率で表われるよう作られたサイコロ)や袋に入れた乱数カードを引き出すハイハット方式で生成していた。
コンピューターでは、完全な偶然の数字、すなわち乱数を作り出すことができない。
=最初の段階で、外部の入力が必要。
=数字を生成する仕組みを隠した、擬似乱数しか作ることができない。
ランダム - Wikipedia
ランダム(Random)とは、でたらめ(乱雑)である事。
何ら法則性(規則性)がない事、人為的、作為的でない事を指す。
また、通常、サイコロの目などのように、各出現項目の出現確率が均等もしくはほぼ均等である状態を意味する。
物性物理学では、"ランダムな系"と言うと、"乱れた系"という意味合いがある。
ランダムな系としては、長距離秩序のないガラスやアモルファスがある(←短距離秩序はあるので、その意味では完全なランダムではない)。
サイコロを投げる運動は、非常にマクロな現象なので、再現性を確保するのは簡単だと思う。
・サイコロ自体の角度(向き)
・サイコロを投げる速度
・サイコロを投げる方向
原子レベルでサイコロの変形を考慮しなくても良い場合、たった3つのパラメータを制御できれば充分であり、サイコロの運動は簡単に必然に還元できるだろう。
完全な偶然とは、たかだかサイコロを投げる程度の運動の中には存在し得ないのだ。
●他の影響を受けない存在
相対の世界において、まったく他の影響を受けない現象というものは存在するだろうか?
地球上にある物体はすべて、重力の影響を受ける。
人間の目でも見える世界=マクロの世界の現象を観察すると、他の影響を受けない独立した系は、発見できないのではないだろうか?
では、肉眼では見えないミクロの世界の現象、例えば量子的な現象では、他の影響を受けない現象があるのだろうか?
ミクロの世界にしろ、マクロの世界にしろ、相対の世界の中にあっては、他の影響を一切受けない存在、現象というものは、現実的にも理論的にも存在し得ないだろうか?
=他の影響を受ける限り、完全な偶然は確保できないと思う。
●相対と非相対の領域
・二元的世界=相対的世界
・一元的世界=非相対的世界
・一元的世界では、時間も空間も消滅している。
・一元的世界は、相対的世界ではないので「なぜ」という問いが成立しない。
二元的世界と一元的世界の境界は、次元数が1個減るので「非連続的」である。
一元的世界における観察は、二元的世界と同じ五感を使った方法が使えない。
二元的世界の側にいる我々は、一元的世界を体験することは簡単ではないだろう。
「既知」と「未知」という、二つの相対的な立ち位置において、既知の側から未知の側に対するアプローチが、「なぜ」という問いである。
従って、一元=差異がなくなる状況になると、「なぜ」と問うことも答えることもできなくなる。
さて、二元的世界の側に「偶然」が存在しないとなれば、消去法によって、一元的世界の側にしか「偶然」が存在している可能性は残されていない。
一元的世界では、現象が「必然」なのか「偶然」なのかを問うことができないので、偶然は存在するという答えも用意できないはずである。
●条件の選択
もしも、すべてが必然で、未来を一切変更できないとしたら、人生とは随分と息苦しい展開だと感じるだろう。
=決められたレールの上を走る列車のように、一切の自由がない。
=必然の、決定されている未来に向かって、ただ突き進むだけの人生だ。
しかし、完璧に未来を予測できる人や仕組みがないことから、未来は決定されていないということは、容易に想像できる。
「原因→条件→結果」の流れに当てはめて考えるなら、原因をなくすことができなくても、条件を変える余地は残されているということだ。
人間は、今この瞬間、たくさんの選択肢=可能性を持っていると思う。
(鈍感な人は、その選択肢、可能性に対して目を閉ざしているだけだろう。)
・原因=過去=1個。
・条件=現在=1個以上。(選択可能)
・結果=未来=1個。
偶然なんかなくても、人間は幸福になれるようにできているはずだ。
条件の選択次第で、未来を変化させられる。
完全な偶然を探す人生があってもいいのかもしれないが、それはまったく無為無駄な行為のように思える。
偶然を信じている人はギャンブラーであり、ハンドルのない車に乗ってアクセルを全開にするようなものだ。必ず壁にぶつかり、車は大破してしまうだろう。
その人生には、破滅の道しかない。
●因果律の活用
すべては必然だ。
必然でありながらも、未来は変えられる。
今この瞬間、何を選択しているのか?
There is a will, there is a way.
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