マラッカ航海日誌補遺
「ベール」に関する二つのニュース
「ベール」に関するニュースが相次いだ。
バンダアチェで、ヴェール不着用の女性逮捕 - インドネシア
英ストロー前外相の言う「ベール」とは
「ベール」といってもどういうものか具体的にわかっていないことが多い。 イスラム教の女性がつけるものと一言に言っても、民族や宗教上の立場によって種類がいろいろあるようだ。
しかし、いずれにしてもわれわれは、否応なく「女性が身につけるものに対する興味」を取っ掛かりにして、こういうテーマに入っていかざるを得ないであろう。
そして、結局は、自分の趣味に合うかどうか、自分が心地よいと思うかどうかによって問題になっている対象を解釈し、それに対する評価を下すものある。理屈は後からどんなふうにでもつけられる。
自分が心地よいと思わないもの、あるいは自分の趣味に合わないものに、多少なりとも強制性が伴うとなれば、なんとでも理屈をつけて批判するだろう。少しでも強制性の伴うことを批判する理由は、いくらでも見つけることができる。
バンダ・アチェに先生に連れられて来ていた日本の女子学生は、「ジルバブ」(ヘッドスカーフ)について「あんな暑苦しいもの・・・」と吐き捨てるように言った。
しかし、このたびのストロー外相の発言は、この女子学生とあまり変わりのないものだった。
>ストロー前外相は、個人的には顔を全部出した人々と接する方が心地よいとも述べており http://www.afpbb.com/article/958479
このような発言は、成熟した政治大国の政治家の発言とは思えないナイーブなものだと思う。
ただのヘッドスカーフなら許せるが、顔を隠すのは許せないというのは何の根拠もない理屈である。
世界中のどこにも出かけて行き、用もないのに入り込んでいく。そしてどこに行っても人前で裸になり、短パンやタンクトップで肌をさらして歩き回る、そうすることが自分たちの権利であり正義だと思い込んでいる。そのような白人たちの「信仰」の方が、ムスリムのベールよりも、シーク教徒のモッコリ頭よりも、私にははるかに気持ちが悪く、「心地が悪い」のである。
もっとも、日本には、強制の主体が誰かによって(強制するのが日本政府かどうか、日本人かどうかで)180度態度を変える人たちもいるようだが、それは日本の特殊な政治風土であろう。。
どのように私は家の歴史を見つけるのですか私は
なお、バンダ・アチェでの「ベール強制」は、ニュースには明示されていないが、あくまでムスリム女性に対して、ということのはずである。イスラム教はコミュニティの宗教であり、ムスリムのコミュニティの外部の人間がどういうルールに従うかにはほとんど関心がない。異教徒への布教にもあまり熱心ではない。
「ベール」関係では他にこんなニュースも
イスラム教大国では、人形もイスラム・ファッション - インドネシア
- 2006/12/01(金) 18:40:22|
- 白人と人種主義
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タイ仏教の堕落
特権主義的な小乗仏教(上座仏教)が、事大主義的なタイの社会で特権を与えられ、国家権力(王室)とも結びつくとなれば、腐敗堕落は必然だろう。
タイの僧侶は、堂々と占いを営業して金を稼ぐ(このようなことは上座仏教の許すことではないはずである)。
寺院内に売春婦を住まわせ営業させていてタイ国内でさえ新聞沙汰になったこともある。この時も、売春婦に対する慈善であるかのように開き直ったのである。
タイ僧が迷惑なのは、近隣諸国にも出かけていってまるで本国にいるように振る舞い、悪事を働くことである。
つい先日もマレーシアでタイ人僧が15歳の少女をレイプするという事件が報道された。
タイ人僧のバス停などでの割り込みもよく見かける。彼らは外国でもタイにいるときと同じように優遇されるのが当たり前だと思い込んでいるようである。
托鉢をしながらも、タイ語以外は話そうとしないタイ人僧が目立つ。
白人に対してはどこまでも奴隷になれるタイ人だが、アジア世界はタイ中心に回っていると錯覚しているようである。
クアラルンプルでも白人ツーリストの多い(そしてムスリム勢力の弱い)中華街では、毎夜飲んだくれた白人ツーリストらの間を、タイ人「托鉢僧」が物乞いに回っている。
本来仏教僧は朝しか托鉢してはいけないものである。上座仏教層は午後は食事をしてはいけない。瞑想に専念するのが基本である。
夜更けに呑んだくれのツーリストの間を回ってカネを集めているタイ人は、「僧服詐欺」といわれても仕方がないだろう。
しかし、その僧服に公の権威と特権を与えているのはタイ国家でありタイ社会である。
つまり、タイ仏教そのものが、僧服詐欺集団にほかならないのである。
どこsuffraggette excitにした
- 2006/12/01(金) 18:39:12|
- タイ
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マレーシアのメード
マレーシアでは、メードを雇うことはありふれたことのことようである。とくに金持ちでなくても普通にメードを雇う。共働きで働いている家庭などはメードを雇うのがごく当然のことらしい。
なお、マレーシアのメードは「メード服」は着ていないと思う。
言葉が通じることもあってか、メードといえばインドネシア人という感じだが、トラブルも多いらしく、しょっちゅう新聞ネタになっているなる。
新聞ネタになると言っても、日本人が想像しそうな淫靡でスキャンダラスなものではない。たいていは雇う側の立場に立った記事で、インドネシア人メードや紹介業者に対して批判的なものである。雇う側に対する批判は、シンガポールや台湾に比べてマレーシアのボスは安い賃金を要求しすぎるということくらい。
住み込みのインドネシア人メード料は、安くて月450リンギくらい(1万3千円くらいか)だそうだが、カンボジア人のメードになると550リンギくらいからになるそうである。
カンボジア人のメードのほうがインドネシア人より仕事ができて、正直で、逃散もせず、病気もなく、良いよ、ただし少し高いけど・・・・という記事が昨日大きく載っていた。
ここで病気というのは(性病のことでなく)TBつまり結核のこと。
インドネシア人メードは結核を持っていることが少なくないらしい。結核持ちのメードが子供をあやすなどというのはおぞましい光景である。
料金は勤務期間によっても変わる。3ヵ月以内に逃げ出すメードが多いのか、最初の3ヵ月は賃金が安く、長期になるとだんだん高くなるような賃金体系が多いようである。
「チェンジ無料」が原則のようだが、トラブルがあってチェンジを要求しても応じない業者も多いとか。
カンボジア人メードは英語もある程度はでき、メードとしての訓練も受けているというので、カンボジアでは優秀な労働者に属する人々ということになると思う。
安い賃金で出稼ぎに来るインドネシア人メードはインドネシア語しかできず、電化製品の動かし方もわからないことが多い。掃除の仕方やテーブルの拭き方など基本的な生活習慣もできていないことが多いという。
メード
メード服
インドネシア
カンボジア
ロジャース賞はなり
- 2006/12/01(金) 18:37:58|
- マレーシア
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ゴムぞうり履き毛唐の通路に突き出した足について
タイの国鉄の車内で、その他あらゆる場所で、サンダル履き毛唐の足が通路にはみ出して行く手をさえぎっている光景を、これまで何度となく見てきた。
そういう時、彼らは他人(有色人種の客)がその通路を通ろうとしていることに気づいていても、決して一センチさえ足を動かそうとはしない。
まず、そのような「譲歩」は彼らにとっては「負け」であり、「野蛮」との戦いにおいては彼らは決して負けてはならないのである。「野蛮」に屈しないことは、彼らのミッションであり正義である。
彼らは負けないだけではない。むしろ珍しいものを見るように、「横着にも自分たちと同じ客の位置にいる」有色人種の目を覗き込み、凝視し、動かないでいる。
彼らにとっては、レンタルワイフでもない有色人種が彼らと同じ立場で「旅行」していることが驚きであり、カルチャーショックなのだ。
「アジア人もアジア旅行をするのか!」「アジア人はわれわれツーリストが見物する対象のはずではないか?」「これは珍しい現象だ!」という風に、まず彼らは捉え、しげしげとその珍しい「現象」に見入るのである。
今夜のネット屋は「ゴム草履履き」の毛唐である。その裏がこちらに見えている。
私はネパールにしばらく滞在したときから、「足の裏の向き」に敏感になった。
左右の区別も強く意識するようになった(ウヨ・サヨのことではない)。
相手を尊重しているときは、左手でカネや物を渡したりはしないし、左手で触れるような事は絶対にしない。(むかつく相手には左手を使うこともある。)
この汚らわしい半ズボン毛唐のゴム草履の裏がちらちらとこちらを向くたびに、私はどうしても禁じえない感情に駆られるのである。
それでも全体として、いまのクアラルンプルはマシなところである。ラマダン中のせいか(そんな配慮が毛唐にあればの話だが)レンタルワイフ連れは少なくなっている。
午後9時までは白人があまり来ない清潔なネット屋にいた。快適なところだが、9時でしまってしまう。その店はアフリカ系の黒人客が多い。白人が来ないのはそのせいかもしれない。
このアフリカ黒人たちも、レジの子にあれこれ絡んで小さな金額を負けさせようとしたりして、なんとも暑苦しい連中ではあるのだが、白人ほど傍若無人な大声を上げることは少ない。
少なくとも彼らは、他人を凝視したりりガンを飛ばしたりすることは不適切なことであるという常識を持っているようである。その点で、白人よりはかなりマシな人種であるといわなければならない。
- 2006/12/01(金) 18:36:09|
- マレーシア
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海外でraceやcomplexionを聞かれたら
前記事にも書いたが、ビザの申請のときなどにraceやcomplexionを聞かれる国がある。
申請フォームにそれらを書き入れる欄があるのだが、どう書くかは問題である。
ぜひ、"yellow"とは書かないでほしいと思う。
yellowと書くよりはbrownのほうがましに聞こえるようである。白人たちからみるとわれわれは、良く言ってbrown、悪く言えばyellowなのだそうである。
しかしいうまでもなく、私はもちろん、brownと書くことにも反対である。これは白人の人種主義の固定観念にそのまま乗っかった卑屈な考えである。
私は"asian"と書くことにも反対である。「アジア人」は決してひとつの人種でも種族でもないからである。
「アジア人」を一括りにする見方は、有色人種を一括して白人と区別し、黒人とそれ以外に分類する、白人世界の伝統的な人種観念に基づくものである。
私はraceを聞かれたときには"Japanese"と答える。raceには「民族」という意味もある。
Complexionの欄には"good"と書いておいた。体調が悪ければ"pale"でもいいだろう。
- 2006/12/01(金) 18:29:16|
- 白人と人種主義
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