2012年4月21日土曜日

日記帳


7月18日の土曜日の午後、いつものIさん宅で「サマー・コンサート」を開催した。プログラム

【息子の新バイオリン、デビュー】

息子の身長がようやく145cmを超えた。バイオリン奏者にとって145cmは重要である。フルサイズの楽器が使えるようになるからだ。楽器の鳴りは、当然本来の大きさが一番。4歳で始めた時は、ダンボール製のペーパー・バイオリンが与えられ、以来 12分の1、10分の1、8分の1、4分の1、2分の1、4分の3、と身体の成長と共にサイズアップしてきた。10分の1はボストン市ニュートンにある Johnson String Instrumentで購入したものの、全てのサイズを買い揃えるのは経済的負担が大きいので、それ以外は教師や生徒のお古をお借りして使用してきた。

フルサイズはこれから一生使えるので、先月家族で楽器屋を回り、大枚を叩いて息子の気に入った1840年頃のフランス製バイオリンを買った。(私は通常ケチだが、楽器には甘い!)バイオリンの購入までの顛末は、売ってくれたお店のホームページに、多少営業用に脚色された記述があるので、ご参照あれ。⇒ バイオリン購入


assasinbatedされた大統領

今回の演奏は、有名なモーツアルトのアイネ・クライネ・ナハト・ムジークの4楽章をピアノ伴奏で演奏。楽器が良くなったからと言って、直ぐに上手く演奏出来るわけではないが、楽器の音色の良さに気づかれた方も数名いらした。今後、もっと練習して楽器に相応しい音楽を演奏できるように、と願うばかりである。早く、対等に合奏したいものだ。

【難曲プーランクに再挑戦】

この曲は、2001年の2月に1度挑戦し大変不満足な出来であった。力んでしまい、特に高音域での早い動きの多い3楽章は惨敗状態だった。(以前の日記「ホームコンサート」参照) 今回はそのリベンジとなるが、特にこの2年間「如何に力を抜いて吹くか」を心掛けてきた成果が徐々に出てきたので、このタイミングとなった。

フルートとピアノは対等であるため、ピアノも極めて難しいソナタであるが、Iさんの伴奏で前回より良く演奏ができた。80点位の出来栄えだったと思う。


最初の電話をした男

プーランク作曲フルートソナタ: 今世紀最高のフルート・ソナタと言われ、ドビッシーの曲に触発され1957年に作曲された。第2次大戦後の作曲にしてはオーソドックスな内容であるが、楽章ごとの変化が激しく構成が難しい。第1楽章は個性的なアフタクトの16分音符から始まるモチーフにより、これから始まる不安な心理状況を暗示する。第2楽章は極めて情緒豊かでアンニュイなメロディー。メロディスト、プーランクのおそらく最上に美しいカンティレーナ。第3楽章は一変して3オクターブ目の高音での速い動き(この運指が難しい)が多い軽快でエスプリ溢れる曲である。

【ガンバが戻ってきた】 

アンサンブル・ボストンには、今回からTさんのビオラ・ダ・ガンバ(以下ガンバ)が戻り、低音部が拡充された。2002年から2003年の2年間Tさんは入っていたが、その後私のフィリピン転勤でアンサンブルは中断。私が帰国したら、今度はTさんが上海へ転勤していた。Tさんのガンバはその間に壊れてしまったので、今般新品を購入し、6年ぶりに当アンサンブルに復帰した。


hootervilleはどのような状態になりました?

Tさんは、私と同じ会社に勤めており、若い頃も合奏したことがあった。元々ギターから古楽器に移り、ガンバ、リコーダーなど演奏している。ルネサンスからバロック時代の音楽については、相当造詣が深いので、バロックを中心とした当アンサンブルでは、ブレーン的存在。

今回は、ヘンデルのトリオ・ソナタを演奏。通常A=435程度でチューニングしているガンバには、現代楽器のA=442に無理して合わせてもらった。ガンバの弦は7本あるが、何れも本物のガット(羊の腸)を使用しているため温度や湿度の変化に敏感で、時には楽章ごとにチューニングが必要となる。以前、真冬に教会で演奏をした際、室温の上昇と共に音程が大きく狂い困ったことがあったが、今回はそういうことは起こらず比較的スムーズに演奏できた。

折角なので、Tさんにはガンバの独奏曲も演奏してもらった。息子にバイオリンを教えていただいているY先生の演奏、Iさんのピアノ独奏もあり、いつもの様に演奏前のおしゃべりや演奏後の懇親会と、楽しい夏の1日となった。


【我が家が取り持った再会】

Y先生は、その昔Iさんの通った中学の音楽科教諭だった。

我が家とY先生は、隣人の紹介で7年前から息子にレッスンをしていただくようになったご縁。一方、Iさんは、奥様が私と同じ会社に勤めている関係で昨年ご紹介頂いた。

昨年12月、Iさん宅でのホームコンサートに息子が出るのでY先生が聴きに来られた際、Iさんと20数年ぶりに偶然再会した。(最初は、Y先生の名字が変わっていたので、気づかず) そこで、今回はY先生も演奏に参加することになった。
 



These are our most popular posts:

ニューヨーク植民地 - Wikipedia

... 年に始められた。 1712年と1741年にニューヨーク市で2つの著名な奴隷反乱が 起こった。1720年代から1740年代は多くの奴隷が輸入された。 .... 歴史家のフレッド・ アンダーソンはニューヨークにおける暴徒の行動をボストンのものと対比させた。ボストン では当初の ..... ユダヤ人は1737年から1747年まで選挙権が無かった。田舎の郡部 では ... read more

Sukima Windows Plus: 十数年の間に彼女らに一体何が起きた

2011年2月8日 ... 【 画像 】 十数年の間に彼女らに一体何が起きた はてなブックマーク - 十数年の間に 彼女らに一体何が起きた. learn more →Fishki.Netより取得。 と勘ぐってして しまう ... 04/15; 車のワイパーに敵意むき出しで襲いかかるボストンテリア ... read more

ワシントン大統領の職業経験(戦前)/歴代アメリカ合衆国大統領研究

ワシントンは倉庫から父が使っていた測量器具を引っ張り出して測量に励むようになり、 1747年10月、測量で初めて2ポンド3シリングの ... フランスは特にオハイオ渓谷を毛皮 交易のために支配下におきたいと考えていた。 ..... 1773年12月16日に起きたボストン 茶会事件について、ワシントンは植民地人が資産を破壊したことを快く思っていなかった 。 read more

18世紀 - Wikipedia

18世紀には、農業生産の飛躍的向上により人口の増加をもたらした農業革命に続き、 世界初の工業化である産業革命が起こったことにより、イギリスの生産力が飛躍的に 向上した。産業革命の原動力のひとつに大西洋の三角貿易(奴隷貿易)に支えられた 砂糖 ... read more

Related Posts



0 コメント:

コメントを投稿